LD(学習障害)ニュース登録は こちら から。

前号 | 目次 | 次号

□ LD・発達障害等関連図書 → http://www.ne.jp/asahi/hp/keyaki/books/ □ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ LD(学習障害)ニュース #660 2006/07/22 発行 登録(配信)読者数 3,526 ■ ■ LD = Learning Disabilities LD親の会「けやき」編集 1997/09/10創刊 ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼ LD親の会「けやき」の正会員・通信会員・賛助会員・ボラ会員募集中! ▼ ▲ 入会方法等はこちら → http://www.ne.jp/asahi/hp/keyaki/join.html ▲ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 第164国会 衆議院文部科学委員会 議事録(抜粋)(2) 2006/06/13 ■ □ 編集後記 ------------------------------------ 13:27 2006/07/22 □ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■□■□■ この LDニュース は「等幅」フォントでお読みください ■□■□■ ■ LDニュースへ講演会等のイベント情報の掲載を希望される方へ・・・ ■ ■ 詳細は下記サイトをご覧下さい。原稿は適宜編集する場合があります。 ■ ■□■□■ http://www.ne.jp/asahi/hp/keyaki/HTML/sample.html ■□■□■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 第164国会 衆議院文部科学委員会 議事録(抜粋)(2) 2006/06/13 ■ ------------------------------------------------------------------------ http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009616420060613019.htm −−−−−−−−−−−−−−−−−−−  次に、姜参考人にお願いいたします。御着席のままでどうぞ。 ○姜参考人 おはようございます。  本日は、意見陳述の機会を与えていただき、大変感謝をいたします。私はDP I日本会議という障害者団体に属しております。  DPIと申しますのは、一九八一年に、当事者の方々が、専門家による自分た ちの人生決定を改めて、自分たちの人生を自分たちで決定していくという前提に 基づいて世界で組織されたものであります。日本では、一九八六年に日本会議が 結成されております。その後ずっと、障害者の権利擁護活動に取り組んでまいり ました。そして、四年前には日本の札幌で世界会議も開催させていただきました。 今DPIの役割としては、国連で検討されております障害者の権利条約について 主導的な役割をもって国連の場で発言をしております。きょうは、そういった立 場から、今回の学校教育法の改定について意見を述べさせていただきたいと思い ます。  私自身は、今大阪の地域で、障害を持たれた方の地域での生活を支えるという 仕事もしておりますけれども、その中でも障害を持つ子供たちを抱えた親御さん からの相談も多数受けたりしております。きょうは、そういった経験も交えなが らお話をさせていただきたいと思います。  まず、私自身の教育歴といいますか、そういったことを少し述べさせていただ きたいと思います。  私自身は、大阪の結構古い養護学校で学童期を過ごしました。小中とその学校 で過ごしまして、高校になってようやく地域の公立高校へ入学をいたしました。 今から思えば、養護学校時代の九年間というのは非常に平和な日々でありました。 しかし、その平和な日々が、実は私自身にとって、いろいろな力を奪っていたの ではないかと今振り返って思うことがございます。それは地域社会と途絶した中 で学校に通わなければならなかったということであります。本来なら、地域の同 年齢の子供たちといろいろなところへ出かけ、いろいろな遊びを工夫しながらお つき合いをすべきところを、私が外へ出れば、まずさらされるのは、そういった 同年齢の子供たちからの好奇の目です。変な歩き方をしている、何かおもしろい 歩き方をしている、そういった中で過ごしてまいりました。そして高校に入って、 次に経験したのは、私自身が障害を持たない人たちとどうつき合っていいのかわ からないという経験でした。  その経験を踏まえて、今考えますと、やはり地域から途絶した学校に障害を持 つ子供たちが行くのは間違いだと思っております。やはり地域の学校で、先生た ちや周りの親御さんも協力する中で、いかに同年齢の子供たちと一緒に過ごすの かということが、私たち障害者にとっては後々の人生を大きく左右するものだと 考えております。  そこで、今回の学校教育法の改正の案に対する意見ですけれども、まず、評価 できることとして、支援を必要とする子供たちの枠組みが確かに広がったこと、 軽度発達障害と言われる人たちがようやく注目され、学校でのきちっとした支援 を受けなければならないというふうにされたことはまことによいことだと思って おります。  ただしかし、私自身の目から見ると、今回の改正案の中、特に現在の、原則的 に養護学校へ行く人たちを一部に決める、そして軽度の障害であれば通常の学校 に受け入れる、そういった枠組みを残したまま制度改正がなされることは非常に 残念でなりません。  今、世界では、インクルージョンということで、どんな障害を持っていようと も、どんなニーズを必要としていようとも、できるだけ通常学校の中で教育を受 けることによって社会をつくっていくんだということが進められようとしており ます。障害者の権利条約でも、今案が示されておりますけれども、その方向で検 討が進んでおります。そういった中で、日本の障害教育をめぐる動きは、依然と してこれまでの構造をそのまま残しているということについては非常に残念でな りません。  きょうお示しした資料を見ていただければわかりますけれども、私たちが本当 に必要としている部分は、地域の中でいかに過ごすかということです。きょうお 示しした資料、世田谷の方で、最近、地域の学校に障害を持つお子さんを入学さ せたお母さんの手記であります。中には学校に対する不安感を述べられた部分が ありますけれども、特に太字にした部分を読んでいただけばおわかりのように、 周りの子供たちと保育所で一緒に過ごしたことがその子にとって、またお母さん にとっていかによかったのかということが書かれてあります。そして、学校に入 った後も、学校側の工夫や先生たちの意識によって、いかにその子供が有意義に 毎日学校生活を送ることができているかを述べたものであります。ぜひとも皆さ んも目を通していただいて、そこにこそ学校教育の本質があるのだということを わかっていただきたいと思います。  しかし、現実はまだまだそう簡単ではありません。お手元にお配りした資料の 四ページ以降に示してありますけれども、これは私がいつも関係しておる、障害 児を普通学校へ全国連絡会というところでつくっていただいた資料です。相談の 中に、通常の学校へ行くという意思を示したときに、いかに地域の教育委員会と いろいろな話し合いを重ね、あるいは拒否され、学校側とも話し合いを重ね、そ ういった親の努力の積み重ねなしに障害児が普通学校へ入れる状況にはまだない わけです。私どもの生活しております大阪などでは、一応、親御さんあるいは本 人の方が望めば、原則として地域の学校で受け入れるという体制はとられており ますけれども、やはり現場現場で、学校学校で問題がないわけではない。  そこの問題点はどこにあるかというと、原則的に、地域の学校へ障害児は入る ことができるという原則がまだ打ち立てられていないからだと思います。やはり 先生たちあるいは教育関係者の方々が、障害を持つ子供に対しては何が一番大切 なのかといった場合、障害に、先ほど上野先生や参考人の方がおっしゃったよう に、ディスオーダーに注目したまま就学先を振り分けてしまっている。  でも、私たちは、自分たちの体が動かないことで生きているわけではありませ ん。障害は社会との関係で変わっていくものです。そういった中で考えていけば、 地域の学校で生き、周りの友達をつくり、その力をかりながら生きる、あるいは 自分たちの、障害を持つ子供自身の存在が周りの子供たちの心を変え、意識を変 えていくということができるものだと信じております。  実際に、私ども大阪の一地域であります豊中市では、長年、地域での障害児の 受け入れということをやってまいりました。その結果、今どういう状況になって いるかと申しますと、障害児とともに過ごした、今青年になった方々が学校の教 員として大阪府下で活躍されている場合もあります。そういった方々が豊中以外 の地域へ行ったときに何に戸惑うのか。子供のときに自分たちは周りに障害児が いることは当たり前だったのに、それが当たり前になっていないことに戸惑われ るわけです。いかに長年の教育の成果が周りの障害を持たない人たちの意識を変 えてきたかということの一つの例示だと思います。私自身は、こういったことは 全国で実践できるものと信じております。  きょういただいた今回の関連資料の中に、サラマンカ宣言という資料が入って いると思いますけれども、そこに、こういった一節があります。インクルーシブ 教育は何のためにあるのか、差別的な態度と闘い、それをなくしていく社会を建 設するために一番有効な手段なんだということをうたっております。私はこの言 葉が大好きです。私たちが目指すべき社会はどういう社会なのか、それはやはり 障害を持っていてもこの社会から排除されない状況をつくり出すことだと思いま す。そのためには、学校教育こそ一番の近道だと思っております。  ここにお集まりの先生方もノーマライゼーションという言葉をお聞きになった ことがあると思います。ノーマライゼーションの標語の一つに、一部の者を締め 出す社会は弱くてもろい社会だという言葉があります。そういう点からすると、 まだまだ学校教育の現場は弱くてもろい社会づくりをしているのではないかと危 惧されます。  ぜひとも、弱くない、もろくない、障害児も含めた本当に強い社会をつくって いただくために就学基準をもう一度見直していただき、根本的に、原則として障 害を持っていても地域の学校へ行ける状況を法制的に整備していただきたいと思 います。そうすることがやはり私たちが望む本当の意味でのノーマライゼーショ ン社会の実現になると思いますし、インクルーシブ教育はそのための大変有効な 武器になると思います。そして、その中で育った子供たちが将来大人になったと きに、本当の意味でこの日本の社会を強くしていってくれるんだと思います。  今回の改正案で、一応、教員免許状の話も改正の方向で出ておりますけれども、 私たちは、今の段階で専門家の方々が不足していることはある意味認識しており ます。しかし、そういった部分を一部の人たちに限ることはないのではないでし ょうか。将来的には通常の学校で、どんな子が入学してきてもそれに対応できる 人材は普通学校の先生方によってもなされるべきだと思います。したがって、通 常学校の先生方にも障害児教育に対する認識を深めていただくことを枠組みとし てつくってもいただきたいし、そういったことがインクルーシブ教育を進める上 で非常に助けになるのではないかと思っています。  ぜひとも、今回の改正、少しでもインクルーシブ教育を充実させる方向、また 私たちが目指す社会をつくるための障害児教育の体制をとっていただきたく思い ます。  御清聴ありがとうございました。(拍手) ○遠藤委員長 ありがとうございました。  次に、高原参考人にお願いいたします。 ○高原参考人 皆様、おはようございます。このような場で意見を述べさせてい ただきますこと、ありがとうございます。  お手元の資料、私の場合かなりはしょっております。なぜかといいますと、個 人情報的なこともございますので、このような書き方をさせていただきました。  私は、埼玉県で、NPO法人発達障害支援センターひまわりということで活動 をさせていただいております。なぜそのような活動をしてきたかといいますと、 私の長男、現在中学三年生になりますが、この長男が五歳のときにADHDとい う診断を受けました。今から十年ほど前になりますので、今のように特別支援教 育ですとか、まずADHDといったこと自体もわかってもらえない時代でした。  なぜ診断を受けるいきさつになったかと申しますと、まず、生まれて、多動傾 向というか、重い方の多動だと思うんですね、私自身育ててきまして。十カ月を 過ぎたあたりからなんですが、周りの保護者というかお母さん方からもマイペー スな子だねというようなことをよく言われていました。私自身、初めての子でし たので、ああ、男の子ってこんなものなのかなというような形で来ていました。  すぐ下に、年子で一つ下に弟がおりますが、ここと比較ができるようになって、 この子はやはり違うなというのを感じましたが、それは二歳を過ぎたあたりから だったんですね。遊びですとか興味が非常にころころと変わっていくんです。も のの何分ももたないんですね。これで本当にいいのかなとやはり親として心配に なりまして、三歳三カ月という小児の健診が各市であるんですが、そちらの方で まず相談をいたしました。  当時、まだやはりこの発達障害というのをわかっていただけるお医者さんもい らっしゃらなかったんですね。ただ、保健婦の方からは、はっきり多動だという ことではないんですが、このような症状の病気もありますよ、もしお母さんが心 配であれば専門医を紹介しますということがあったんです。当時、手先の不器用 さが伴うとかとよく言われて、今は全くそういうのは関係ないと言われています が、それが唯一うちの場合は当たらなかったんですね。それで、では様子を見ま しょうということになってしまったんです。  そして、公立の保育園に通っていまして、これは二歳から保育園の方に通って いたんですが、そこで、やはり年齢が上がるとともに、問題が非常に出てきまし た。  まず、担任の保母、今は保育士さんですが、この子がこういうことをするのは この子の個性だねというふうにとらえていただける担任の先生とは比較的うまく いっていました。ところが、これをしなければいけないんだというような形で、 がんじがらめといいますか、そのような先生とはとことん相性が悪くて、よくや ったのが、かみつくですとか、とにかく行ってパニックを起こすですとか、必ず 行くと、ひどい場合は、私には見られませんと迎えに行った玄関先でよく言われ て帰ってくるような次第でした。ですから、親としては隠れて送り迎えをして、 そっと置いてそっと逃げてくる、ほかのお母さんたちとなるべく顔を合わせない ように、合わせれば、済みません済みませんと頭を下げて回っている毎日だった わけなんです。  それが、五歳のときに一番悪化をしまして、ちょうどそのときだったと思いま す、マスコミでこのADHDというのを取り上げられた時期だったんです。その 症状を映し出されたのを見まして、自分としては非常に当てはまることが多かっ たんですね。そして、三歳のときの健診の病気としてありますというそれがずっ と頭にあったものですから、そこで市内の保健所の発達相談というのを受けまし た。そこで、小児科の先生から、この子は多動傾向があるから一度診てもらった 方がいいということで専門医を紹介していただきました。そこで受診をしました。  私自身、やはり周りから、保育園の先生からも、お母さん、ちょっと愛情が不 足していますよとか、いろいろ言われていましたので、非常に自信もなくしてお りました、やはり私の育て方が間違ってしまったのかなと。だから、余計子供を 締めつけるということもありました。結果として、やはり小学校に上がった時点 で、既にもう行為障害というものまで起こしていました。ですので、就学前に至 っては、とにかく少しでも面倒見のいい担任の先生に振り分けてもらうように、 当時であれば、とにかくわかってもらってください、周りの人にこの子の状態を わかってもらってくださいというのが主治医の先生からの指導でした。  そこで、教育委員会の就学相談を受けまして、こういう子なんですと、三回ほ ど受けたんですね。ところが、やはりこの発達障害自体、今でもそうですけれど も、この子に合った場というのはないんです。今ある中では、通常学級、いわゆ る特殊学級、そして養護学校、あとは情緒障害の通級がどうかすれば適用するか なというようなところでしたので、まず選択肢としてはやはり選べなかったです ね。就学相談を受けた結果、知的にも問題ないですし、衣服の着脱もできますし、 通常どおり学区内の小学校に入学しましょうということで、小学校への入学とな りました。  やはり学校でも、まず、この軽度発達障害、ADHD、これ自体がわかってい ただけませんでした。入学して十日目に校長から呼ばれました。私も、この子の ことに関しては隠すつもりもありませんでしたし、わかっていただくというのが 一番だと思っていましたので、まず先生と、ああよかったということで早速伺い ました。十日間のいろいろやったことを全部羅列されまして、結果、とにかくお 母さん、この子がこういうことをするのはADHDとかじゃないんですよ、親が 原因です、とにかくあしたから学校へ来なさいと。  それから毎日子供に付き添って、一年近くです、学校通いが始まりました。ひ どいときには、休み時間だけ来てくださいと。うちの場合は、教室の中で席には 比較的座っていられたんですね。ところが、対人関係ですとか、やはりそういっ たところでのトラブルが多いものですから、休み時間での問題が大きいんです。 例えば、友達とけんかを始めてしまった、かんでしまった、たたいてしまったと いうことがありますので、二時間目の休み時間というのは二十五分間と比較的長 いですから、そういう時間ですとか昼休みですとか、そのときだけ今度は来てく ださいと。  あとは、夏場になりますと、今度はプールなんですね。水遊びが好きな子でし たから、非常に興奮するんです。そうすると、やはり危ないですから、お母さん、 プールサイドに立っていて見ていてくださいと。そのために毎日学校へ行くよう な次第でした。  時には、朝行きまして、きょうは急に担任の先生が休みになりました、ほかに 先生がいないので、お母さん、ずっと後ろにいてくださいと。玄関のかぎも閉め ずに行った状態で、一日ずっと学校にとどまりました。そんなこともあったわけ ですね。  私としては、いろいろなことを校長先生ともお話しました。担任の先生にもこ の子の状態というのを伝えていきました。ところが、やはりなかなかわかってい ただけなかったんです。なぜかといえば、発達障害というのは見てわかる障害で はないんですね。見ても全く普通なんです。ですから、何でこの子がというよう なことなんですね。中には、元気がよくていいじゃないと言われてしまったりす るわけです。そうすると、どうしてもわかっていただけないというのが一番あり ました。  それと、現実問題、やはり、一クラス三十何人、四十人いるクラスの中では、 場合によっては、先生によっては、わかってはいるんですけれども、でもできま せん、はっきりそうやっておっしゃる先生もいらっしゃるわけです。  そこで、では私がどうしたかといえば、教育委員会に、例えば、この子に対し ての支援員さんを派遣してください、つけてください、そういうお願いもまずし ていきました。ところが、やはり返ってくる答えは、お金がないです、そういう 人的な配置をできるだけ余裕がないです、それができるだけの人材がいません、 このことが、いつも、どこへ行っても返ってくる答えだったわけですね。  その中で、とうとう三年生に上がる段になりまして、いろいろなことが情報と して回っていきますので、この子と同じクラスになったら嫌だわというようなこ とも言われるようになりました。  そこで、私は、二年生のときに合同懇談会を開いてくださいということで学校 側に申し入れをしまして、一カ月間、やるのやらないの、そのすったもんだの繰 り返しをしまして、二クラスだったんですけれども、五十何人のお母さん方を一 堂に集めていただきまして、私の口からこの子の状態というのをやっと説明させ ていただきました。中にはそれで納得されたお母さんもいらっしゃいますが、こ じれてしまった関係というのはなかなか修復ができない、そういった方もやはり 何名かはいらっしゃいました。  その中で、三年生、四年生、とうとう五年生に至ったときに、子供は不登校に なりました。やはり今までの対応をしくじってしまった、だからこそ幼年期の対 応というのは大事だというのは私自身が体験した思いです。その中で、学校に行 きたくないになってしまったんです。  私の場合は、もうこれはどうにもならないということで、実を言うと、こちら にいらっしゃいます市川先生に今現在お世話になっておりますので、梅ヶ丘病院 の方に七カ月間入院ということをしました。  本人は、最初はやはり嫌がっていました。病棟に入って、病棟だけでいいと。 青鳥養護学校の梅ヶ丘分教室というのがあるんですが、そちらに通っていいです よという許可がおりたんですけれども、本人はとにかく嫌がりました。もう学校 自体も嫌になってしまったんですね。その中で、とにかく七月一日から行くとい うことになりまして、毎日電話をかけることができましたから、夜本人から電話 がかかってきた中で、どうだったと聞くと、楽しいとなったんですね。何でこん なに変わるんだろうというのが不思議でした。よく分教室の先生ともお話しした のは、医療機関の中にある学校ではなくて、通常の中で、一般の中でこういう子 供たちを受け入れてくれる場があったらというのをよくお話をさせていただいた 次第です。いつまでも病院にはいられないわけです。ですから、七カ月たって退 院をしてきました。  では、今度退院をした後に受け入れてくれる学校はどこか。私は、この子たち、 この子たちといいますのは、今ひまわりとしていろいろ療育活動なんかもしてお りますので、感じるのは、この子たちに適した環境が必要だと思います。それは、 教育もそうです。親子関係も友達も兄弟関係ももちろんそうだと思います。現に うちのすぐ下の弟も、兄のことが原因で周りからいろいろ言われるものですから、 やはり不登校ということを体験しております。それで、私は、支援というのは、 その環境の度合いによって必要か不必要かというのが決まると思います。適した 環境であれば支援というのは要らないと思います。けれども、そこが適してない から不適応状態を起こすわけですから、支援の手というものが必要になってしま うのではないかと思います。  今現在、中学もう三年生で、今度いよいよ次のステップになるわけなんですが、 この間、小学校、中学校、いつもずっと思ってきたことは、やはり発達障害をわ かってくれる人はほとんどいないな、余りにも理解されないんだなというのを一 番感じています。  ここに、次の二番目のレジュメの方になりますが、そんなことがありまして、 四年ほど前に、実を言うと、親の会としてひまわりは立ち上がりました。当初は 親同士の慰めの場だったわけです。愚痴のこぼし合いです。わかってもらえない。 親同士、わからないんですね。同じ学校に通っていても、まずそういう情報が入 りませんから、わからないんです。会員で入ってきて同じ学校のお母さん方が三 人そろったとか、そんなことがあるわけなんですね。中には、私、こんな思いを しているのは市内で私一人だけかと思っていましたとか、中には、お母さん自身 が精神科に通ってうつ病の薬を飲まなければ夜も眠れないとか、そこまで悩んで いる方もいらしたわけです。  そこから始まってきまして、今度は、子供というのは日々成長していきます。 今必要なんですね、今生きているわけですから。今きちんとした療育とか、この 子たちに適した学びの場というのが必要だと思います。教育というのは子供が自 立していくためにあるものだと思うんですね。それをやはり、なかなか今の学校 現場の中にはないんです。居場所がまずないですから。  そこで、今度はNPO法人化をしまして、子供たちの支援というような形で今 活動をさせていただいております。その内容が、こういったパンフレット、ここ にある事業なんですね。  これはなぜ始めたかといいますと、私自身体験をしてきまして、こういったも のがあればいいなという思いでつくりました。ですから、これを見た保護者の方 には、親が望むものばかりですねと言われた方がいらっしゃるんです。つくった のが私、親ですからとよくお話をするんですね。専門の先生方ですとかいろいろ な研究者の方々が、何かそれぞれの研究の場としていろいろなものはあるんです が、どれもやはりしっくりこない。やはり当事者の親のもどかしさですとか、そ ういったものをわかっていただける場ってなかなかないなというのがあるんです ね。そこで、当事者として、当事者の思いがわかるものとしてこのようなものを 活動事業として行っています。  ここで、その次の資料になりますが、このサポーター養成講座というのは、わ かる人材が余りにもいないということで、今年度から始めました。実を言います と、これを受けている方の大半は保護者なんですね。自分はエジソンの母になら なければいけないのかと。余りにも、学校というものに期待できないと思ってい ると思うんです。だからこそ自分がきちんと学んで、この子をという思いなんだ と思うんですね。  そして、これだけの長い期間です。なかなか余り、これだけやるところがなく て、いろいろこれをやるに当たっては、本来もっと長かったんです。それを切り 詰めまして切り詰めまして、なぜかといいますと、ボランティア講座ですとか、 いろいろな研修会ですとか、一日ですとか二日、三日、その程度のものはあるん ですが、さらっと、ああそうかなという程度で終わってしまうんですね。真に支 援できるだけの人材までは至らないのではないかなというのを感じています。  そこで、実習まで入れたこのようなサポーター養成講座というのを、これは今 年度から毎年開校していく予定でいます。こちらは基礎コースですから、今後は、 子供たち、いつまでも子供ではいません、成人になっていきますから、今度は成 人のサポートですね。  そして、私自身、子供を育てていて一番感じているのは、家庭の中においても サポートしてくれる人がいたらいいなと思っています。なぜかといいますと、非 常に活発に動く子たちですから、お使いなんかに行っても大変なんですね、大体 余計なものまで買い込んでくるような。普通であれば、隣の人へ、済みません、 ちょっと見ててもらえますかと普通に気楽に頼めるんですが、この子を持ってい ますととてもそれはできないんですね。かなり迷惑をかけてしまうかなとか、誤 解されちゃうかなとか、何、あのうちはどういうしつけをしているんだろうと思 われちゃうだろうなと。であれば、実を言いますと、現に私も親の葬式にも出ら れなかった次第なんです、子供を見てくれる場がなかったものですから。やはり 家庭でもそういうサポートは必要だと思います。  結果として、こういう子たちです、決して褒められるようなことをする子たち ではないものですから、どうしても親としてはしかってしまうのが多いんですね。 これは学校でも同じだと思います。それはやめよう、やめさせたいという思いで しかるものですから、果ては、虐待ですとかそういったものにもつながるケース が非常にふえています。一番怖いのは、子供を受け入れられなくなってしまう関 係なんですね。こういったケースも何例か私どもの相談の中には来ております。  そのような点で、ぜひ、教育の場でも、発達障害というのを、子供にかかわる 方々というのはすべてまず理解していただきたいな、学んでいただきたいなと思 います。  それともう一点、この子たちの場というのは、今のところどこにも属してない んですね。通常学級でもだめなんです。では、今ある特殊学級でどうかというと、 ここでもやはり居場所がありません。就学相談もわかっている方が担当されれば いいんですが、そうでない場合は、通常学級がだめだとでは特学、特学がだめだ ったらもう養護。養護なんかに行きますと、逆に言うと、今度は養護のお母さん 方から、あんたたちは軽度なんだから、ここは軽度の子たちの来る学校じゃない んですよということで言われるんですね。もっと軽度のお母さんたち頑張りなさ いよと、そういうようなことが返ってくるわけです。  ですから、私としては、この子たちの学ぶ場、そういったものがきちんとあれ ば、適切な療育、そういったものがあれば、何の問題もなく社会の中で自立して いける子たちだと思います。その場においても、やはり教育の場というのは大事 なものだと思います。  それから、実を言いますと、二〇〇二年に親の会を立ち上げまして、まず一般 の方々にも、社会の中でやはりこの軽度発達障害というようなものの市民権を得 なければいけないという思いがありますので、理解促進ということで、後援会で すとかセミナーなんかを毎年ひまわりとしては開催しています。  ところが、それを休日、まして民間団体でやる、お金も払って参加するという と、やはり意識のある方なんですね。本当は、意識が薄い、その他大勢、大多数 の方に私なんかは聞いていただきたいことなんですが、なかなかそういう方の参 加というのは得られないんです。  そこで、今年度、実を言うと、この三冊、これは絵本なんですが、各百部限定 で私どもがつくったものなんです。これは軽度発達障害をわかっていただくとい う意図のもとでつくりました。ですから、親しみやすい絵本という形に置きかえ て出させていただきました。これは、学校ですとか児童相談所、それから教育セ ンターですとか、そういったところに無料で配付をさせていただいている資料な んです。今回、ちょっと八十部御用意できなかったので何部かだけなんですけれ ども、ぜひごらんいただきたいと思います。  一番は、やはり教育というのは絶対大事なものだと思いますので、十分に、こ ういった子供たち、人もそれから時間もかけていただきたいなと思います。発達 の度合いに応じた学校、今回の法案の中にも障害の種別をなくすということが言 われていますけれども、やはり、個々に応じた専門的な教育というのは必要だと 思います。もし言うのであれば、私は、障害児学校の総合病院のような、間口が 一つとしても専門の科に分かれていくような、そういうきちんとした学びの場で すね、そして、発達の保障というのをきちんと得られる、こういう教育の場とい うのをつくっていただきたいと思います。  どうもありがとうございました。(拍手) ○遠藤委員長 ありがとうございました。  以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ □ 編集後記 ------------------------------------ 13:27 2006/07/22 □ ------------------------------------------------------------------------ 今年は梅雨がなかなか明けません。。。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ LDニュースの記載内容に関する質問には原則として回答いたしかねます ■ ■ 編集に際し正確を期していますが最終保証責任は免責とさせて頂きます ■ ■ LDニュースの記載内容を転載される場合には必ず下記までご連絡下さい ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 親の会「けやき」連絡先 E-mail: keyaki@box.club.ne.jp [1999/03/12 から] ホームページ URL : http://www.ne.jp/asahi/hp/keyaki/ [1998/07/31 から] LD 関連の情報交換・意見交流・質問は下記の「LDフォーラム」をご利用下さい LD-FRM URL: http://www.ne.jp/asahi/hp/keyaki/LD-FRM/ [2000/08/17 から] ★ 挿入された広告内容や広告主と親の会「けやき」は一切関係ありません ★ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ □ LD・発達障害等関連図書 → http://www.ne.jp/asahi/hp/keyaki/books/ □ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  LDニュースは「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/ を利用して発行してます ------------------------------------------------------------------------

「けやき」ホームページ | 目次


inserted by FC2 system